本来の用途と異なる使い方をされてこそ道具として一人前

ある道具 ―数学でも科学(という概念)でもパソコンでもインターネットでも鋏でもバールのようなものでも― が本来の使用用途を外れた場面で使われるのには、その道具が非常に強力だったり、使い勝手が抜群だったり、もしくはその道具を使うことが楽しかったり、それなりの理由があるものだと思います。なので、本来の用途と異なる使い方をさせないようにと躍起になって批判したり規制したりするのは、まあ気持ちはわかりますが、あまりやり過ぎるとその道具の魅力を損なうことに繋がるのではないでしょうか。
などということを近頃漠然と感じています。


なお、逆は必ずしも真ならずなので、お気に入りの道具を本来の用途以外に使いまくればその道具の有用性を主張する根拠となる、と言っているわけではありません。念のため。