『やってああいう空気になるくらいならば、するな』で思い出したこと

元記事の悔いが残る時点でそれは正解ではない 関クラ予選 FC東京U-18-三菱養和 - 「やってみるさ」を思いっきり雑に説明しますと、サッカーのリーグ戦で引き分ければOKという試合の終盤にチャンスの場面で時間稼ぎをした選手の選択と、どうしても勝ちたかったという別の選手の姿勢、その二つの「正解」についてのお話です。


その文章で思い出したフロアバレーの試合があります。いや、忘れていないのに「思い出した」という表現も変かもしれませんが。
某大会の2回戦、相手は全国トップクラスのエースを擁する優勝候補筆頭のチーム。そのチームを相手に、私たちのチームは激戦の末15-13で第1セットを奪いました。あと1セットで勝利(3セットマッチなので)という続く第2セットは逆に劣勢となり、点差はよく憶えていませんが5点ほど離された状態で相手のセットカウントとなりました。その時点で試合時間僅かとなっていました(大会スケジュールの都合上、試合時間は最長60分制限)。
ここで、「第2セット途中に時間切れとなった場合、両セットの総得点で勝敗を決める」という大会規程を計算に入れて、相手チームが時間切れを狙った作戦に出てきました。
その状態でサーブ順が私に回ってきたのですが、時間切れによる負けを心配し、また何としてもその試合に勝ちたかった私は、サーブをわざと失敗し、第2セットを終わらせて最終セット勝負に持ち込む選択をしました。残り時間の関係で最終セットは1ラリー勝負となるでしょうが、そこで勝つという自信と気合があったからです。


しかし、「逆転できるかもしれないセットをわざと落とした」という私のその選択は、一部のチームメイトの士気を削いでしまい(理解してくれたメンバーもいましたが)、セット間の休憩だけでは体勢を立て直せず、結局最後のラリーを奪われて試合は負けに終わってしまいました。
私がチームメイトのことを理解しきれていなかった、ということを痛感しました。
元記事で言われている『やってああいう空気になるくらいならば、するな』という意味でも、また実際に試合に勝てなかった事実からも、私の行動はベストなものではなかったわけです。
今振り返ると、あのときチームに呼び込んでしまった悪い流れを払拭するのに2年ほどの時間がかかったように思えます。一つの行動がその後数年にわたって影響を及ぼす、という決断の恐ろしさを身をもって知りました。


フロアバレーに限らず、人生において決断を誤らないためにはどうすればよいのか。
自分の環境に適合したサンプルが得られやすいという意味では「自らの失敗から学ぶ」のは有効な手段ですが、それなりの年齢になってしまった現在、一度の学習(失敗)が数年にわたって尾を引くというのはあまりにも高すぎる授業料です。
「失敗から学ぶ」という統計的手段が使いにくくなってきた、と感じます。
今後その傾向が更に強まると予想される中、未知の事態へのベストな対処法をどのように見出すか、そのことを意識して過ごしていきたいと思っています。