「共働きvs専業主婦(夫)」問題の華麗(で多分無理)な解決法(追記あり)

このへん(男女平等を家庭に持ちこむのはやめにしないか - 狐の王国)を読んでて思ったんですけど、


そもそも「仕事(お金稼ぎ)」と「家事」という区分を無くせちゃえばいいんですけどね。どちらもやることはだいぶ違うけど、一つの家庭の運営に係る業務であることには違いないわけですし。
話を単純化して、夫と妻がいて「仕事」A,B,Cと「家事」1,2,3があったとしたら、六つの「業務」を一旦ごちゃ混ぜにした上で二人の能力や希望に合わせてAと2と3とCとBと1のどれを誰が受け持つか決めるわけです。そしたら「{共働き|専業主婦(夫)}が望ましい姿である」だの「仕事と家事はどっちが偉い」だの余計なことに囚われずに、その二人に最適化された役割分担を目指せるようになるんじゃないかなぁ。
で、二人の適正を鑑みた上で結果として一人がA,B,C、もう一人が1,2,3を受け持つことになったのならそれはそれですし、ならなかったのならそれはそれです。


イメージ図はこんな感じ。「夫婦は背中合わせで敵と戦っている」という表現をつい最近どこかで見たんですけど、

一歩離れてみれば、仕事も家事も同じ「業務」という敵グループですし、背中合わせじゃなくて二人が同じ方を向いて敵と対峙できるんじゃないかなぁ、と。

多分、そっちの方が戦績もよくなって、しかもよりLoveなんじゃないでしょうか。


まぁ、現実的じゃない話なのは百も承知ですけどね・・・

追記(2009/1/21 6:33)

元記事を書かれたid:KoshianXさんから以下のブックマークコメントをいただきました。

いやそれが実は無理で家庭経営にはやっぱ主軸が必要だよねって話じゃないのかい。旧来のフェミニズム論者に踊らされて家事分担とか言い出したのが失敗だったという話をしたつもりだったのだが

http://b.hatena.ne.jp/KoshianX/20090117#bookmark-11706059

「家事分担が良い」という意見が主流となることで、夫婦のあり方に対する「こうあるべき」という強制力が生まれてしまって、その「こうあるべき」が馴染まない性格・状況の夫婦が生き辛くなってしまう、という状況は私もよくないと思います。
同様に、「家庭経営には主軸が必要」という意見が主流となると、夫婦のあり方に対する別の「こうあるべき」という強制力が生まれてしまって、今度はその新しい「こうあるべき」が馴染まない性格・状況の夫婦が生き辛くなってしまうだけなのでは、と懸念しているのです。
建物にどちら側から光を当てても反対側には影となる部分ができますよね。影となる部分を作らないために反対側からも光を当てるのは必要なことですが、反対側から光を当てる目的が「逆側に影を作ること」になってしまわないように注意したいなぁ、ということです。