『「下流大学」を切って進学率20%にしたらどうなるか』へのとりあえずのツッコミ

「下流大学」を切って進学率20%にしたらどうなるか - kentultra1の日記という記事について本格的にツッコミを入れたいんですが今時間がないので、とりあえず一点だけ。

学を通じた国民の視野拡大・基礎教養/知的態度の涵養

大衆の教育高度化、平たく言えばDQNから遠い存在の社会人を量産する事だ。これは質もさることながら量にも重要な意味がある。民主主義国家においては、国民がどれだけ正しい判断が出来るかは死活問題であるし、あらゆる現場で多少なりとも判断が正しい事は生産性を向上する。僅かに得た多少の基礎知識であっても数が多ければ役に立つ場面も多くなる。先進国での中位以下の大学教育は、このように国民の底上げをする機関としての役割を果たす


…はずだ、という信念が社会にはある。本当であれば、進学率の低下はクリティカルなダメージとなる。では、本当だろうか。


なんとなくそうだろうという気もするが、計測や実証が困難な内容だ。しかし少なくとも、計測可能な労働生産性の指標「賃金」については、大卒・高卒感の際について

高等教育が生産性(賃金)に与える効果は、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロです。
学歴間賃金格差の変化のほとんどは、分布区分の見せかけによるものです。

http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm

と結論づけられている。


つまり、少なくとも生産力の増強にはならない。「視野拡大・基礎教養/知的態度」は仕事にすら力を発揮しないとすれば、それ以外の場では力を発揮すると無邪気に信じる訳にはいかないだろう。

「下流大学」を切って進学率20%にしたらどうなるか - kentultra1の日記

「学を通じた国民の視野拡大・基礎教養/知的態度の涵養」が国に及ぼす好影響の可能性として(経済的な意味での)生産性向上だけしか挙げないのもどうかと思いますが、その点はひとまず脇に置くとして。


その項では「下流大学」(という呼び方は好みではありませんが、元記事に従って)の存在が国全体に与える影響を論じているんですよね?なのに、「賃金」なんていう直接的には労働者個人の懐具合にしか影響しない指標だけを以て

つまり、少なくとも生産力の増強にはならない。

なんて結論付けるというのは、(元記事で引用している検証の結論を信じるとしても)全く論証になっていません。労働者に支払われる「賃金」がその労働者の「生産力」と正しく対応している(と仮に思ったとして、その)ことの立証すらしていないというのはねぇ。
(「生産力」が低い労働者に高い賃金を払う雇い主はあまりいないと思いますが、「生産力」が高いからといってその人が高い賃金を受けているとは限らないわけで。)
「個人レベルの話として、大学に行っても高い給料もらえるようになるとは限らないよ」という話をしたいだけなのであれば(主張の正しさはともかく)話の流れとしてはまだましなのですが。