二人の「本田」
唐突ですが、さっき風呂で考え事をしていてふと思ったので。
『ヒカルの碁』でヒカルたちが合格した翌年のプロ試験(合格枠3)は、伊角・門脇の外来コンビが白星みんな持ってっちゃって後はヒサンな食い合いだったわけですが、その状況はヤグディンとプルシェンコが鉄板中の鉄板で実質的にメダル1個しか残っていなかった2002年ソルトレイク冬季五輪フィギュアスケート男子シングルの闘いを彷彿とさせます。
で、そのような視点で上述のプロ試験の結果を眺めたとき、激しい争いの末に残る一つの枠を勝ち取った人物の名が
「本田」
であるという事実に、2002年のあの闘いを知る身としては、何とも形容しがたい複雑な感情を禁じ得ません。
果たしてこの事実は単なる偶然なのでしょうか?それとも・・・