「応用されない学問こそ王道」という意見について

どこだったか忘れましたが、某所で「学問は応用がないようなものこそ王道、応用があるようなものは傍流」といった趣旨の発言を見かけて気になったので一言。


数学における有名な未解決問題にリーマン予想があります。所謂「百万ドル問題」(クレイ数学研究所が2000年に発表したミレニアム懸賞問題7問のこと)の一つということもあり、一般の方でも名前ぐらいは見聞きしたことがあるかもしれません。懸賞問題となるずっと前から現在に至るまで、数学における主要課題として多くの数学者の挑戦を受け続けてきた大問題です。


一方、2002年に発表されて注目を集めた、AKS素数判定法と呼ばれる(理論的には)高速な素数判定アルゴリズムがあります。当時、「素数判定」と「素因数分解」を混同して「RSA暗号の危機!」などと騒いだ方が多かった(念のために言っておきますが、このアルゴリズムを使ってもRSA暗号は破れません)のを憶えている方もおられるかもしれません。
残念ながら通常の用途(インターネット上の日常的な暗号通信など)においては確率的素数判定法(判定誤り確率がゼロではないが非常に小さいもの)を用いた方が高速なのですが、それでもある数が素数であることを確実かつ比較的高速に判定できるというのは、不慮の事故を防ぐという観点から理論的のみならず現実的にも意義のあることと思われます。


で、実はこのAKS素数判定法の性能解析にリーマン予想が応用されているのです。
大雑把に説明しますと、AKS法である数nが素数かどうか判定するには、まず「nが素数でないことの証拠」として使えそうな数の候補を大量に用意して、それらが実際に「nが素数でないことの証拠」として成立するかどうか一つ一つ確認していきます。そして、成立している証拠が一つでも見つかれば「nは素数でない」と判定して、逆に充分多くの候補を調べても証拠が見つからなかった場合には「nは素数である」と判定します。AKS法の成立を決定付けている重要なポイントは、候補の数を充分多くすれば判定誤りが決して起こらない点と、必要な候補の数が比較的少数で済むという点です。
AKS法の所要計算時間は(相性が最悪な数nを入力したとしても)だいたいnの桁数の7.5乗ぐらいと理論的に見積もられているのですが、一方でもしリーマン予想(より正確には一般リーマン予想)の解が肯定的であるならば、計算時間をnの桁数の6乗ぐらいまで削減できることが証明されています。(一般リーマン仮説を認めると上記の「必要な候補の数」を減らせることによります。)平たく言うと、一般リーマン仮説を認めればAKS法の所要時間の桁数(ゼロの数)を8割に減らせる(例えば、10万秒が1万秒に、100億秒が1億秒になる)ことになります。


こんな具合に、数学における王道中の王道であるリーマン予想ですら他への応用が見つかっているわけですし、現在応用が知られていない題材についてもいつ応用が見つかるかわからないのですから、「応用があるような学問は傍流」と言ってしまうのはいささか乱暴に過ぎるのではないでしょうか。
応用があればあったで嬉しいし、応用が無くても美しいものは美しい。それでよいのではないかと思います。