「ゲーデルの不完全性定理は否定的かつ肯定的な結果である」という解釈ではいけないのだろうか(追記あり)

先日の記事で「私は、不完全性定理は数学という体系の(ある意味での)限界を示した結果だと受け取っていました。」と書いたところ、id:wd0さんからコメントで「不完全性定理が体系の強さを比較する便利なツールとして使われていることを見ると、不完全性定理を限界云々に結びつける発想は出てこなくて、むしろ、肯定的な結果に見えませんか。」とのご教示をいただきました。
で、私はコメント欄で氏へのお返事とお礼をしたり、その後id:wdoさんのブログで『不完全性定理は「現代科学の限界」なるものを示してはいない』シリーズを読んだりしたのですが、そこで表題のような疑問を持ったわけです。


不完全性定理とゲーデル 三題 - /dev/wd0aや先日のid:wd0さんのコメントによれば、数理論理学において不完全性定理は基本定理として様々な定理を導くのに用いられていて、その意味で肯定的な結果であるのだそうです。私は不完全性定理がそのような使い方をされているとは知りませんでしたが、いざ知ってみると、確かに不完全性定理の持つ肯定的な意味合いを感じることができました。
ただ、それでもなお、「体系Tの中で○○を証明できない」という不完全性定理の主張自体について感じた否定的な意味合いは自分の中で払拭されてはいません。
(一応注意しておきますと、ここでいう「否定的」という言葉は、決して不完全性定理自体の価値や数学という体系の価値を否定するものではありません。念のため。)


現在の私の解釈は、「不完全性定理は一方では数学という体系の限界を示しつつ、また他方ではその限界に近づかんとする歩みの確かさ(体系Tの拡張T'が真の拡張であること)を示す手段をも与えている」といったものです。前半部分は否定的な結果、後半部分は肯定的な結果と考えています。
もしid:wd0さんが「不完全性定理肯定的な結果でもある」ではなく「不完全性定理否定的な結果ではない」とお考えなのでしたら、不完全性定理の否定的なニュアンスをより直接的に払拭できる別の根拠をご教示いただけませんでしょうか。
(むしろ是非、私のまだ知らないそのような例を知って、また一つ賢くなりたいと願っております。)


最後に念のため書き添えておきますが、たとえ不完全性定理が数学という体系の限界を示しているとしても、それは数学を含めた科学という体系もしくは方法論の価値を下げるものではないと考えます。
ましてや、某氏のように「世界は矛盾していることを証明している」などと飛躍した主張をしているわけではありません。誤解されませんよう。


(2008/11/17追記)
id:wd0さんよりお返事をいただきました。ありがとうございます。

ガロア理論は、5次以上の代数方程式の代数的解法の不在を示すので、否定的な結果である」を認めるなら、不完全性定理も否定的な結果です。そして、その程度に否定的なだけだと、私は理解しています。

不完全性定理は「現代科学の限界」なるものを示してはいない(号外) - /dev/wd0a

私は件の「5次の一般方程式に代数的解法が存在しない」という定理についても否定的な結果と思っています(勿論この定理は非常に価値のある定理ですし、ガロア理論自体には肯定的な意味合いも豊富に含まれていますが)ので、このお答えを聞いて自分の中で納得がいきました。
「そして、その程度に否定的なだけ」という部分についても、ご教示下さった不完全性定理の使用例を思い浮かべれば充分に納得できます。

ω回繰り返しても、さらに先がある。これは、数学の発展に終りがないことを示す。

この発想には、共感を覚えます。

不完全性定理は「現代科学の限界」なるものを示してはいない(号外) - /dev/wd0a

これは私も同意です。
「数学の発展に終わりが無い」という事態の一面である「終わりに到達できない」という点を私は「限界」と表現しているのですが、別の一面である「永遠に発展し続けられる」という点にも同時に充分な価値を感じていますし、感じているからこそこうして数学を生業にしているわけで。