「運」の存在は麻雀漫画にとってむしろ好都合なのではないか

「運」に縛られる麻雀を漫画で描くにはどうすればいいのかという話 - ポンコツ山田.comという記事を読んで、面白いと思いつつ何かモヤモヤとしたものが残っていたのですが、その理由が何となくわかりかけてきたので書いてみます。

同じテーブルゲームの中でも、麻雀が将棋や囲碁、チェスなどと違うのは、運の比重が圧倒的に大きいことです。プレイヤー各々でその按配に意見はあるでしょうが、私は7:3で運だと思っています。
(引用時中略)
イカサマをしない限り、絶対に知ることのできない部分があるのが、麻雀なのです。

「運」に縛られる麻雀を漫画で描くにはどうすればいいのかという話 - ポンコツ山田.com

さて、長々と前提の部分を話しましたが、これが麻雀を題材に漫画を描くにあたってどんなネックになるかというと、勝つ人間は、結局のところ「運がいい」のだという側面から逃げられなくなるのです。
(引用時中略)
「アカギ」や「天」が面白いのは、人間の心理の推移にきちんと理屈をつけている、心理的な意味でのキャラ立ちができているというのもありますが、強さの根っこにある「運」を上手いこと目立たないように処理してあるからでしょう。「運」を軽く扱わず、どう表現すればいいのかをきちんと考えた「アカギ」は、やっぱり麻雀漫画としてというより、人間漫画として秀作だと思うのですよ。

「運」に縛られる麻雀を漫画で描くにはどうすればいいのかという話 - ポンコツ山田.com

麻雀において究極的には「運」という要素を排除できない、その点で将棋や囲碁とは異なるという点にも、「アカギ」(を含む福本作品)は人間漫画として秀作だという点にも同意なのですが、それ以外の点については少々異なる意見を持っています。


麻雀において「運」の要素をゼロにすることはできないと思いますが、技術、決断力、下準備、覚悟、あるいは場合によってはイカサマの腕や日頃の行いの良さ(?)といった「運」以外の人為的要素によって、「運」の占める割合を下げることはできるものと思います。
例えば、私のようなかろうじて麻雀のルールを知っている程度の人間でも、運さえ充分に良ければ私の妻(麻雀をあまり知らない)にもプロの雀士にも勝てるとは思いますが、妻に勝つのとプロの雀士に勝つのとでは必要な幸運さが圧倒的に異なりますよね(後者については奇跡レベルの運が必要でしょう)。それは、プロの雀士の優れた腕前によって、「運」の占める割合が(著しく)下がっている状態と考えられるわけです。
つまり、麻雀においては「運」という要素と闘う(もしくは味方につけるべく精進する)ことができるわけですし、逆に高いレベルの勝負に勝とうと思えば、上記の人為的要素を駆使して「運」と闘うことは必須条件ですらあるでしょう。少なくとも、多くの麻雀漫画においてはこの意味で「運」と闘わないキャラクターは弱者として描かれていると私は考えます。


このような事情で、多くの麻雀漫画のキャラクターは、目の前の対戦相手と闘う以前に「運」という強敵と闘うことを余儀なくされます。
しかし、「運」と闘っているのは麻雀漫画のキャラクターに限りません。というより、麻雀漫画を読んでいる我々読者も、現実世界を生きる上で日々何らかの形で「運」との闘いを余儀なくされています。闘っているという自覚はないという方でも、日々の生活が「運」の良し悪しの影響を少なからず受けていることは感じておられることでしょう。
対戦ものの漫画において、敵の「強さ」と「闘う理由」に説得力を持たせることが重要という話はよく耳にしますが、その意味で麻雀漫画に頻出する「運」という敵の強さと、「運」と闘う理由(必然性)を、我々読者は予め体感として納得しているわけです。また、「運」という敵が我々読者にとって身近な存在だからこそ、その「運」と闘う様子、あるいは「運」を味方にすべく麻雀に己を捧げる様子を読んで熱い気持ちにさせられるのではないかと思います。
元記事では「運」という要素を麻雀漫画における厄介な存在として捉えているようですが、私はむしろ、「運」という究極の敵が必然性を伴って存在している点は、麻雀漫画にとって好都合ですらあるのではないかと考えます。勿論、その身近な強敵である「運」といかに闘うかを魅力的に描くことはやはり難しいことだと思いますので、麻雀漫画が他のジャンルの漫画に比べて簡単なのかというとそんなことはないと思いますが。


(一方、将棋や囲碁における「究極の敵」の表現としては、例えば「ヒカルの碁」における「神の一手」がそれに相当すると思います。しかし、本職の棋士の方々や私のような研究者ならともかく、一般の方が「神の一手」に類する存在を、憧れの対象ではなく身近な敵(敵というよりは求道の目標ですが)として感じるのは難しいのではないかと想像します。そのため、対局を描く際に勝敗を決する要素として、どちらがより「神の一手」に近い手を放ったかという点だけでなく、気迫、プライド、平常心/動揺などの心理的要素を強調して描くことが多いのではないかと思います。
・・・逆に「ヒカルの碁」好きとしては、だからこそ作品中期の重要場面である佐為と塔矢名人の対局において純粋な「絶妙手」が決め手となったことにより、あの対局が稀有な存在として逆に印象深くなったのかなぁ、などと妄想したりもしますが、それはまた別のお話。)


なお、「アカギ」「天」などの福本作品において「運」を目立たないように処理してあるという元記事の見解については、私はむしろ逆で、福本作品ほど「運」との闘いを強調している漫画はそうは無いと思っています。
同様に勝負事における洞察力や精神力、駆け引きといった人間的要素を重視した漫画に「ONE OUTS」があり、私は福本作品と同じく「ONE OUTS」「LIAR GAME」などの甲斐谷作品も大好きですが、「運」を目立たないように処理してあるという点は甲斐谷作品の方にむしろ顕著な特徴ではないかと考えています。
長くなってきたので、とりあえずこの辺で。

アカギ―闇に降り立った天才 (22) (近代麻雀コミックス)

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ONE OUTS 1 (ヤングジャンプコミックス)

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