「英語で発信する数理科学者たち」への一つのツッコミ

「英語で発信する数理科学者たち」という論文を読んで。
論文の本論であるところの、「日本の数理科学者は英語だけじゃなくもっと日本語で研究を紹介する文章を書くべき」という主張には大いに同意します。その上で、本論と直接関係はしないかもしれないものの、ちょっと見過ごし難い箇所があったので触れたいと思います。

英語で論文を書き、英語で講義し、英語での学会講演しか許さず、日本社会に日本語で成果を説明するつもりがないなら、日本の数理科学研究者が日本人である必要はない。いっそのこと、予算申請書や成果報告書の作成のために少数の日本人を残し、あとは全部、英語を母国語とする人たちに入れ替えてしまえばいい。英語で苦労することがないから、効率はぐんと上がるに決まっている。日本の予算を使って行われた研究だから日本の貢献になる。外注、あるいは研究所の海外移転である。企業の工業移転と同じことだ。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006433953/の論文より引用

日本人研究者と英語ネイティブの研究者が公正に争った結果として日本人研究者が淘汰され英語ネイティブの研究者だけが残った、という状況であれば止むを得ないかもしれませんが、「あとは全部、英語を母国語とする人たちに入れ替えてしまえばいい」というのはいかがなものでしょうか。
日本の貢献の方法として研究予算の提供が強調されていますが、研究を行える優れた人材の育成と供給も、世界の研究界へ果たせる重要な貢献です。文中で工業が引き合いに出されていますが、製造業においては、日本は資源に乏しいため外国から資源を輸入して加工品を輸出する、というスタイルが定着しています。しかし、研究に関しては、日本も研究者という人的資源(やその卵)を多く保有していますから、資源を供給するという形で世界への貢献も可能です。
日本の研究機関から日本人研究者を締め出すというのは、このような研究人的資源の供給という形での世界への貢献の道を閉ざすことになるでしょう。それは望ましくないことだと私は思います。