「定理」は客観、「定義」は主観(追記あり)

http://d.hatena.ne.jp/depthwinter/20081123/1227431799について。もう一つニセ科学関連の話です。といっても話の本筋とはあまり関係がなくて、重箱の隅っぽい意見で申し訳ないのですが。

私にとっての「科学と宗教」の切り分けとは、つまるところ「客観的な事実を議論する場に、主観的な価値を持ち込むな」という事でしかない。*1
(中略)
*1:追記。惑星の科学的な定義を議論する場で「冥王星を惑星に止めておきたい」という主観的な価値観に基づいた行動をしている人たちがいたなあとか思い出した

「客観的な事実を議論する場に、主観的な価値を持ち込むな」というご意見に関連する形で、惑星の科学的な定義について述べておられますが、惑星の定義それ自体は「客観的な事実」ではないでしょう。既に存在する定義について、ある対象がその定義を満たすかどうかという点は客観的な事実であり得ると思いますが。


「科学的な定義」というのは、ある対象がその定義を満たすかどうかを科学的に判定できるように線引きを行うことであって、定義の内容が主観に満ち溢れたものであってもそれは「科学的な定義」たり得ます。
例えば、数学に「完全数」という概念があり、その定義は「その数と、その数自体を除いたその数の約数全ての和が等しい正の整数」です。一例としては、6の約数は1,2,3,6の四つで、6自身を除いて和を取ると1+2+3=6となるので6は完全数、といった具合です。で、この完全数の定義自体は数学的に全くもって客観的なものであり、ここでいう「科学的な定義」と言えます。ですが、自身を除いた約数の和が自身と等しければなぜ「完全」なのか、という点には数学も科学も答えてはくれません。最初に完全数の定義を与えた本人に訊けばきっと完全数がいかに完全であるかについて熱く語ってくれるでしょうが、結局のところ客観的には、それは「自分は『完全数』を完全であると感じた」以上の意味を持ちません。


惑星の定義に関しても、そもそも「どの星が惑星と呼ぶに相応しいか」なんて思いっきり主観的な話ですよね。ですが、定義の生まれが主観的であるとしても、定義を満たすかどうかの判定だけはとにかく客観的に行えるようにしよう、というのが惑星の科学的な定義というやつでしょう。
勿論、定義を決める段階で、いかに多くの人間の主観と合致するかという点はちゃんと重視するようにしないと、科学的ではあるが全く無意味な定義になってしまう恐れがありますけどね。
で、今回話題となっている惑星の定義についてはまた状況が特殊で、一度定義した「惑星」の概念を再定義するという話なわけです。そうすると、専門家のみならず多くの一般人が既に「冥王星は惑星」と認識してしまっている状況を鑑みて、後方互換性確保のために冥王星を含める形で惑星を定義したいという動機は一概に否定できるものでもなかったと思うのですが、いかがでしょう。


(2008年11月26日追記)
元記事のid:depthwinterさんからコメントいただきました。

ご指摘の通り、惑星の定義というのは主観的な観念に依存しています。私がなんかなあと思ったのは、冥王星を惑星に留める定義が否決され、新しい定義が出てからのことです。当時CNNなどでは、妙に感情的な意見が多く報じられており、げんなりした記憶があの一文となりました。(誰だったかは記憶にありませんが、NASAの関係者が新しい定義に対して揚げ足取りのような、しかも素人である私ですらおかしいと思える批判をしていたのにもげんなりでした・・・)

http://d.hatena.ne.jp/depthwinter/20081126/1227665615

なるほど、惑星の定義が否決された「後」の経緯に関するご意見だったのですね。私はCNNなどの報道については存じておりませんが、仰るような状況だったのであればげんなりされるのもとてもよくわかります。

上でも少し書きましたが、一般の方々の科学に対する印象を悪くしないためにも、可能な範囲で一般の方々の認識とも合致する形で定義を与えようという行為はそれほど悪いものではないと思うのですよ。
一方で、NASAの関係者という科学に関わる方が、外部の人を「げんなりさせる」ような批判の仕方をされたのであれば困ったものだなぁ、と思います。(批判自体はしてよいと思いますけどね、やり方に問題がなければ。)