デジャヴュは好調のバロメーター?

突然ですが、皆さんはデジャヴュって感じることありますか?


実は私は結構高い頻度でデジャヴュを感じることがあります。といっても統計を取ったわけではないので「高い頻度」というのはあくまで主観ですが。


憶えていないだけでそれ以前にも実はあったのかもしれませんが、私がデジャヴュを明確に意識し始めたのは大学入学直後のことで、当時は3ヶ月ぐらいの間に15回ぐらいはデジャヴュを感じていたように記憶しています。あまりに頻発したものだからその存在を意識するようになった、とも言えます。
それ以降はそんなハイペースで感じることは無かったと思いますが、それでも体感的には少なくとも数ヶ月〜半年に1回ぐらいの頻度で感じ続けてきました。ちょっと前にも一度、えっと・・・どんな内容だったかちょっと今思い出せないのですが、でもここ1ヶ月の間に少なくとも1回はデジャヴュを感じました。
あと、デジャヴュとは厳密には異なると思うのですが、予知夢(かもしれない夢)とか。あ、とはいっても人生の大事を争う選択とかそういう重要な場面には全く役に立たなくて(笑)、最近のだと先日とある論文の査読レポートを書いているときに「あ、そういえば前にこんな感じの内容の文章を書いている場面を夢に見たな」と思い起こす、とかそんな程度の話です。
で、重要なのは、該当する夢を見た直後には「それが予知夢かもしれない」という考えは全く浮かんでこなくて(更には「自分はたまに予知夢かもしれない夢を見ることがある」ということ自体すっかり忘れていて)、該当する現実の出来事を体験した後になって「あ、あれひょっとすると予知夢だったのかも」と気付く、ということです。というわけで、唯でさえしょうもない内容の予知夢(仮に本物だとして)なのに、その出来事が終わった後からの確認にしか使えないので全くもって実用的ではないという塩梅でして。


そんな実用的でないデジャヴュなり予知夢(のようなもの)ですが、デジャヴュを感じたり予知夢に(後になって)気付いた瞬間って、妙な安心感に包まれるんですよ。無理やり言葉で表現すると、ふっと「ああ、自分はどうやらそんなに間違った道を進んではいないんだな」と感じられて、世の中の色彩がほんの少しだけ澄んで見える、といった具合に。


ということも手伝って、「実は自分はこの人生を生きるのは初めてじゃないのではないか」などと感じることもあります。で、私は自分だけがそんな特別な存在だなんて思ってませんので、もし自分がそうなのだとしたら実は世の中の他の方々もそうなんだろうな、と。


そんなわけで、「電波」として名高い素数大好き某神父の「覚悟」論も困ったことに何となく言葉ではなく心で理解できる気がしてしまっています。
とはいえ、流石に私の場合、自ら率先して世界を一巡させようなんて考えたりはしませんので、その辺りが漫画のボスキャラになれるかどうかの境目なんでしょうね。