『「解読不能は数学的に証明済み」、RSAを超える新暗号方式とは』の話

@ITの元記事はこちら/.Jとか暗号研究者の方々のブログとか、色々なところで(主に批判的orネタ的な方向に)話題になってます。
で、私も記事を読んでいろいろ考えてみました。

元記事自体について

いわゆるクリアテキストアタック

があんまりいわゆっていないように思えるのは気のせいでしょうか。Googleで検索しても元記事の該当箇所を引用したようなページしか引っかかりませんでしたし。
「いわゆる」の前の文章の内容からすると選択平文攻撃のことを指しているようにも見えるのですが。

ただ、最終的に暗号技術の恩恵にあずかるべき消費者や一般市民にとって「事実上十分安全だ」という言い方しかできない現在の暗号技術では、心理的な不信感をぬぐうのは難しい。例えばSSLを使ったオンラインショッピングでクレジットカード番号の入力を躊躇するユーザーは、まだ多い。

ここで例示されている類の人は、過去の実績や専門家の太鼓判がどれだけあっても、自分が感覚的に理解できないことに対しては信頼を置けないのだと思うので、ここで言うCAB方式が普及した後でも状況は変わらないでしょう。*1

また、その安全性についても、理論的裏付けがあるとはいえ今後は専門家による検証が欠かせない。ランダムな数列生成ではNIST(米国立標準技術研究所)で使われるテストで検証済みだが「今のところCAB方式を正当に評価できる方法や機関は存在しない」(大矢教授)のが現状だ。

NISTによる乱数検定法についても、これまでにも専門家による誤りの指摘やNISTによる訂正が行われていて、今年1月のSCISでもそういう発表(プログラム表の4A1-6)がされていたりするのですが*2

他の方々の反応について

CAB方式には批判的な記事が多いですね - snuffkinの遊び場

CAB方式については、まともな論拠で肯定していた記事が皆無ですね。改めて、怪しさが深まりました。

暗号方式の詳細が公開されていないのだから、そもそも(仮にまっとうな方式だとしても)「まともな論拠で肯定」のしようが無いのではないかと。

増田の誤解 - Crypt Alarm Basic (仮称) 方式について - 186 @ hatenablog

非常に参考になりましたし、概ね同意なのですが、いくつか気になることが。

よくよく記事を読むと, CAB方式はブロック暗号ってあるんですよね. ということは適切なパラメータの下で, 暗号化関数の定義域 (平文空間と乱数空間の直積) と値域 (暗号文空間) はそれぞれ有限集合になっている筈なんです. 有限集合から有限集合への関数の数は有限です. よって, そもそも鍵空間は無限大じゃないと思うんですよ.

暗号分野で「ブロック暗号」がどのように定義付けられているのか詳しくないので的外れな意見かもしれませんが、
平文空間と暗号文空間が有限サイズでなければならないというのは有限サイズのメモリに記憶させる必要上必然でしょうが、乱数空間については、「物理乱数生成の繰り返し回数に上限を設定しない&乱数は使い捨てる(メモリに保存しない)」といった形で無限サイズにすることは考えられないでしょうか。勿論、それでは暗号化の所要時間を見積もれないのでそのままでの実用化は無理でしょうが。*3
あと、暗号化関数の定義域は、平文空間と乱数空間と鍵空間の直積じゃなくて良いのでしょうか。これもブロック暗号の定義と絡む点なのかもしれませんし、どっちにしろ鍵空間もメモリの制約から有限になりますから、今回の件については全然本質的な疑問じゃありませんが。

暗号ではパラメトライズされた議論が行われています. n=1024のときにはRSAの鍵長は2048ビットで, 敵が秘密鍵をT時間で求められるなら, ある定数cで大体T+n^5くらいの計算時間で素因数分解できるとかそういう話をします. なので, 暗号理論の方でも元々有限長で考えています. ということで, 暗号の文脈から言えば, 鍵の候補が無限大の暗号方式ってのは意味が分かりません.

現在の暗号分野における安全性評価の枠組みに適合しないからといって、その暗号化方式が「安全でない」とは言い切れないのではないかと思います。もし仮に、CAB方式が本当は安全な方式であったとして、それが現在の暗号分野の枠組みに合わないのであれば、CAB方式の安全性評価が可能となるように安全性評価の枠組み自体を拡張するという方向性もありなのではないでしょうか。
勿論、その拡張作業をid:smoking186さんがする必要はありませんし、それはむしろそのような暗号化方式を提案する側の役目のはずですが。


色々と書きましたが、「確かに胡散臭い話ではあるけれども、ひょっとしたら本当に画期的な新技術なのかもしれないし、そういう可能性をむやみに排除したくはない*4、けれども暗号方式の詳細がわからない以上『胡散臭い』と片付けられてしまうのは無理も無いことなので、早く詳細が公開されるといいなぁ」というのが私の現時点での感想です。

*1:別にそういう人のことを批判したいわけじゃありません。私自身、何度も飛行機に乗ったにもかかわらずやっぱり「あんな鉄の塊が空を飛ぶなんておかしいだろ」って心の底では思っていたりしますし。

*2:そのことで記事を批判するのはさすがに酷だと思いますが

*3:「それはブロック暗号ではない」というお話でしたら、「ブロック暗号に似た別の何か」ということにして

*4:私も情報セキュリティの研究をしているけれども根っこの部分は数学者なので、「暗号分野でこれまで使われてこなかった分野の数学理論を使えば画期的な暗号ができる可能性もある」という思想自体には共感する面も多々あります