全日本フィギュアスケート選手権 女子シングル フリースケーティング感想

今回の全日本は4年に1度、五輪日本代表を掛けた戦いでした。
前回、2005年の全日本(トリノ五輪代表選考会)女子シングルフリーは少なくともフジテレビ内部的には「聖夜の奇跡」(確か、開催日が12/24か25のどちらかだった)と呼ばれているらしいですが、テレビ的なアオリを脇に置いても確かにその名に値するだけの素晴らしい戦いであったと記憶しています。あのような素晴らしい戦いが再び見られるのか?という期待で観戦に臨んだ方も多かったでしょうし、私自身も開幕前にはそのような期待を少なからず持っていました。

結果としては、前回に勝るとも劣らない素晴らしい演技を見ることができましたし、それだけの感動もしました。ただし、「演技」ではなく「戦い」という観点からは、「前回と同じような質の戦い」を求めるのが難しい理由が初めからあったのだな、と気付かされました。

前回との「違い」

私の記憶では、前回、2005年のショートプログラム終了時点で、(年齢制限で五輪出場資格の無かった浅田真央選手を除く)最終グループの5人は、五輪代表選考という意味で、多少の有利不利はありつつもほぼ横一線に並んでいたと思います。その後日本初の五輪フィギュアスケート金メダリストとなった荒川選手でさえ、今回の浅田選手ほどの頭一つ抜け出た存在ではありませんでした(事実、2005年の全日本を制したのは荒川選手ではなく村主選手でした)。

今回のフリー最終グループも、年齢制限で五輪出場資格の無い村上選手を除き、五輪に関係する選手は前回と同じく5人でした。ただし、その5人の置かれている状況は決して横一線のものではありませんでした。

まず浅田選手。今期のグランプリシリーズでは不調でファイナルにも進めませんでしたが、それでも現在の日本選手の中で頭一つ抜け出た存在であることに変わりはありません。彼女が「本来の力を見せさえすれば」全日本4連覇、従って代表内定は客観的に見て堅い状況だったと思います。その力関係と、今期これまで一度も満足のいく滑りが出来ていなかったという現状から、彼女にとっての戦う相手は周囲の選手よりむしろ彼女自身だったのではないでしょうか。(勿論、彼女自身の心境として、周囲の選手を相手として軽んじていたわけではないと思いますが。)

次に安藤選手。彼女は今回導入された新たな代表選考基準の一つ、「グランプリファイナルでの表彰台&日本人最高順位」(素晴らしい成績です!)を満たしていたため全日本開始前に既に代表内定を得ていました。私個人としては、彼女は現在、ベストの浅田選手に勝てる見込みのある日本唯一の(そして、世界でも数少ない)選手だと思っているので、彼女がどんなモチベーションで全日本に臨むのか、具体的に言うと浅田選手の4連覇を本気で阻みにくるのかどうか注目していました。結果として、演技内容やインタビューから察するに、彼女(もしくは彼女のコーチ)は今回の全日本を「五輪への調整の一環」もしくは「代表選手お披露目としての責務」として捉え、勝負の場としては考えていなかったようなので(五輪での活躍を至上命題とする代表選手にとってある意味当然の考えですが)、浅田選手との真剣勝負は五輪の舞台までお預けとなりました。

さらに村主選手。2005年全日本で優勝し、トリノ五輪で4位入賞を果たした彼女も、下の世代の台頭により近年は苦しい立場での争いを余儀なくされてきました。今回の代表選考でも、今期のそれまでの実績で不利な上にショートプログラムでのミスにより上位と10点近い差を付けられてしまい、横一線というよりは明確に「上位を追う立場」としてフリー演技に臨むこととなりました。

そして鈴木選手と中野選手。両選手ともタイプの異なるスケーターながら実力的には伯仲しており、今期の実績では鈴木選手が有利(既に「グランプリファイナル出場」という代表選考ノミネートの条件を満たしていた)である一方、数度の世界選手権上位入賞という大舞台での経験では中野選手に分があります。全員がベストに近い演技をしたとすると全日本の順位争いでも代表選考でも両者は僅差になることが予想され、まさに一騎打ちの様相を呈していました。

というわけで、全員がほぼ横一線だった2005年とは異なり、今回の全日本での5人の選手は皆それぞれ微妙に(もしくは大きく)異なる立場でフリー演技に臨むこととなりました。従ってどうしても2005年と「同じ質の勝負」にはならないだろう、あとは今回の状況の違いが、勝負にどのように影響するだろうか・・・という観点で観戦に臨むこととなりました。

滑走順、もしくは去年からの伏線

フリー演技の滑走順は、中野選手、安藤選手、浅田選手、村主選手、鈴木選手、村上選手の順となりました。

ここで思い出されるのは去年、2008年全日本フリーの戦いです。去年のフリー演技最終組では、第1滑走の鈴木選手によるほぼパーフェクトの素晴らしい演技によって増幅された緊迫感の中、第3滑走の中野選手が力尽きてミスをしたことにより鈴木選手が世界選手権代表入り、中野選手が落選という結果となりました(参考:去年書いた記事)。

今年の滑走順は去年の逆、第1滑走に中野選手が入り、後から鈴木選手が出てくるという流れです。直前の第3グループでも大きなミスの無い好演技が続き、緊迫した雰囲気が持続されていました。そんな中、中野選手は去年の鈴木選手のように素晴らしい演技をして、後の選手に緊迫感を増幅させて渡すことができるでしょうか?そして鈴木選手は、増幅された緊迫感の中でベストを出しきれるのか、それとも去年の中野選手のように緊迫感に潰されてしまうのでしょうか?

滑走順を見たとき上記のようなことを考え、ますます面白い戦いになったな、と思いました。

第1滑走、中野選手

曲は「火の鳥」。中野選手の一つの持ち味である「気迫」を前面に出しつつ、曲を良く表現していてスピードもある見事な演技だったと思います。代表技であるドーナツスピンも、出し所・切れ味・演出ともに素晴らしいものでした(フジテレビには、ドーナツが丸いことなんか皆わかってるから上から写さなくていいよ!と心の中でツッコミを入れましたが・・・)。ただ、冒頭の3Lzをはじめ、他にもいくつかジャンプの着地の安定性に本来のキレが見られない箇所があったのが残念に思えました。演技を終えた後、彼女が浮かない顔をしていた理由の一つだったのではないかと思います。それでもなお観客からの大きな歓声がありましたし、高まった緊迫感を途切れさせないだけの演技であったと思います。

演技後のインタビューについて。あの状況(ただでさえ今期の実績で不利な状況にいて、会心の演技ができなくて、しかもまだ他の誰も演技を終えていない)で「これでバンクーバーへ大きく近づいたんじゃないですか」みたいな質問をしたインタビュアーは、さすがに万死に値するとまでは言わないことにするけれども、プロとしていかがなものかと思います。まぁ、幸か不幸か、おかげでそんな無神経極まりない質問に対して「他の選手たちにも良い演技をしてもらいたいと思う」といった趣旨の理性的な返答をした中野選手の素晴らしさが引き立つ結果となったわけですけどね。

第2滑走、安藤選手

曲は「クレオパトラ」。後のインタビューによると「序盤飛ばし過ぎて・・・」とのことでしたが、それでも私には序盤からやや控えめな滑りに見えました。途中で解説者が「身体の線が細くなったように見える」と指摘し、また演技後のインタビューを見た妻も「頬がこけてしまっている」と言っていたのですが、恐らく体調が万全ではなかったということなのでしょう。それでも転倒などの大きなミスはなく、緊迫した勝負に水を差さない演技だったと思いますし、技術や表現力の高さは随所に垣間見え流石だと思わされました。

第3滑走、浅田選手

曲は「鐘」。まずまずの出来で終えたショートプログラムを受け、果たして浅田選手は本当に復活したのか?という不安と期待の入り混じる心境で見つめましたが、これは復活の狼煙を上げたと見てよい好演技だったと思います。3A+2Tのコンビネーションは安全に2A+2Tへ落としましたし、採点表を見るといくつかダウングレードされたジャンプがあったようですが、全体的な技術の切れ味は流石ですし、何より曲と滑りとの調和が取れていたように感じられました。特に最後の気迫こもったストレートラインステップは素晴らしく、それまでの重厚な曲調で溜められたストレスを吹き飛ばすカタルシスを感じることが出来ました。今回はベストの演技とまでは言えないにしても、五輪本番に向けての期待が高まる演技だったと思います。

第4滑走、村主選手

曲は「スパルタクス」。ショートプログラム終了時点で上位と約10点差ついていて、逆転のためにはパーフェクトな演技が求められる厳しい状況でした。「それでも村主選手なら、村主選手ならあるいは・・・」という思いで見つめましたが、残念ながら奇跡の再現はなりませんでした。最後のストレートラインステップなど見所のある演技ではありましたが、ジャンプでの度重なるミスがあまりにも大き過ぎました。彼女の今後についてはわかりませんが、とりあえず今回は「お疲れ様でした」と言いたい気持ちです。

第5滑走、鈴木選手

曲は「ウエスト・サイド・ストーリー」。2005年や昨年ほどの緊迫感ではないにしろ、皆「この選手の演技が今回の最大のポイント」と心得ているからか、やはり独特の緊迫感に包まれた演技開始となりました。しかし、そんな状況でも彼女は揺らぐことがありませんでした。「やらされてる」感とは無縁な、自然な雰囲気での冒頭のフィンガースナップ(テレビカメラの角度の関係で手が身体の後ろに隠れていたので、やや気付きにくかった模様)。ジャッジへのアピールではない、観客を沸かせるための数々の仕草。躍動感と情感の溢れるストレートラインステップ。最後の決めポーズに至るまで、エンターテイナーとしての彼女の魅力が十二分に発揮された素晴らしい演技でした。技術的にも、1度ジャンプの後次の動作に移る際に転倒してしまうハプニングはあったものの(逆に、あの転倒で全く集中力を切らさずその後の演技に繋げた彼女の精神力の強さを目立たせる結果にもなりましたが)、それ以外のジャンプは全てクリーンに決めていたように見えました。
点数が表示される前には、個人的に、今回の僅差の争いではあの転倒での1点減点が致命傷になりかねないよなぁと固唾を呑んで待っていましたが、結果的にはフリー演技の点数で中野選手を上回りフリー演技で全体の2位、総合点でも中野選手を僅か0.17ポイント(!)上回っての2位となりました。今回、もし中野選手が鈴木選手を上回っていたとしたら代表選考が非常に難しいものになっていたと思いますが、グランプリシリーズに続いて全日本でも鈴木選手が上の成績を残したことで、文句無しの代表入りとなりました。五輪でも熱演を期待しています。

最終滑走、村上選手

村上選手本人にとっては大事な舞台なのは勿論ですが、代表選考という観点からはクライマックスの後のエンドロールのような立場になってしまった最終滑走、曲は「白鳥の湖」。とはいえ、素晴らしい物語に素晴らしいエンディングが付き物であるように、彼女の演技も自身の力を見せた素晴らしいものでした。流石Jrグランプリファイナル優勝者、フリーでも全体でも5位入賞というのも納得の演技です。開始前に立ち位置を間違えたり、最初の3Lzがすっぽ抜けたのは15歳の御愛嬌、その後はどれもクリーンな演技で、今後が楽しみな選手です。試合後のコメントでは「緊張感が凄かった、もうやりたくない」みたいなことも言っていたみたいですが、貴女もきっと4年後は同じ緊張感を背負う立場になるんですよ、残念ながら(笑)。

終わりに - 受け継がれていくもの -

というわけで今回の全日本の結果を踏まえて、女子シングルの代表は浅田選手、安藤選手、鈴木選手の3名に内定されました。男子シングルとアイスダンスの代表選手挨拶をぶっちぎったフジテレビには文句の一つも言いたくなりますがそれはさておき(おかげで織田選手の会場を笑わせた「つかみ」が目立たなかった!)、我が家では(特に妻が)一夜明けた現在も「まさか中野さんが今回も五輪行けないなんて・・・信じられない・・・」という話題で持ちきりです。彼女は前回も今回も、本当に惜しいところで代表入りを逃していますからね・・・。年齢と日本の選手層の厚さを考えるときっと今回が彼女にとって最後で最大のチャンスだったはずで、あれだけのスケーターが結局五輪に行けずじまいというのは、勝負の世界の厳しさと世の無情さを感じずにはいられません。

ところで、最終グループの一つ前、第3グループにはジュニア世代もしくはそれに近い選手がたくさん出場していました。私が演技を見て驚いたのは技術の高さで、ジャンプに関しても2A+3Tのコンビネーションを取り入れた選手が複数いたように記憶しています(あまりクリーンではなかったように見えましたが)。そして、スピンも皆上手かったのですが、特に目を見張ったのは、中野選手が得意とする「加速するドーナツスピン」を取り入れていた選手が複数いたことです。現在の世界レベルのシニア選手で中野選手以外にあのドーナツスピンを使う選手は思い当たりませんし、身近にいる目標ということもあり、きっと中野選手のドーナツスピンをお手本に練習したのでしょう。流石にまだ「本家」ほどの切れ味は見られませんでしたが、今後ますます上達していくことでしょう。そして、上達した彼女たちの加速ドーナツを見る度、私は「本家」である中野選手のことを想い起こすのでしょう。

記録に残る選手と記憶に残る選手、という表現はよく使われますが、それ以外にもスケーターが後世に残せるものはある、そして中野選手はその「それ以外のもの」を確かに後世に残していくんだなぁ、と感慨に浸った第3グループでした。