「統計や確率の悲劇。」が何でしっくりこないのか
先日の記事でも元ネタにした「my image ltd. -TOSHISM-」の話を再び。
この文章を書く前に何度も元ネタを読み返したのですが、読めば読むほど「しっくりこなさ」が蓄積されていくばかり。全くもっておかしな文章なのかというとそういうわけではなく、冒頭の
どんなに知識がある人でも、どんなに頭の回転が早い人でも、どんなに地頭がいい人でも、確率や統計については、学ばなければ絶対に理解できないと私は思っています。なぜなら、それらは人間の直感に反している結果を往々にして導き出すからです。
とか、相関関係と因果関係は別物ですよという話とか、良いことも色々と書かれているのに、どうしてしっくりこないのか…
勘違い?じゃあ、どれだけの実績があれば信じるに足るのでしょうか
「みんな勘違いばっかり」の項について。5回連続で勝ち越しただけでは実力を殆ど保証できない、というのはまぁそうでしょう。10年連続利益を上げてもまぐれかもしれない、というのもご尤も。
でも、有限回の観測結果から導いた「単なる勘違い」に過ぎないかもしれない、ニュートン力学などの物理法則の類は、きっとid:Wakiさんも信じて日常生活を送ってますよね。
「単なる勘違い」かもしれないこの両者の違いは一体どこにあるのでしょう。
元ネタのコメント欄でid:kuniakimatさんも似たような言及をしておられますが、統計学には検定理論のように、実験結果や観測結果から推測される性質が「単なる勘違い」である可能性がどの程度高い/低いかを数値的に見積もる手法が存在します。
過去の事象から得た仮説について「単なる勘違いかもしれない」で終えてしまっては経験どころか歴史からも何も学べなくなってしまいますので、仮説が「どの程度確からしいか」という評価軸はぜひとも導入すべきかと思います。