problem solverの卵は数学科でどう過ごしたか

数学者は理論構築型と問題解決型(英語風にproblem solverと呼ぶことが多い)に大別できるとしばしば言われますが、この分類で言えば私はproblem solverだと自認していますし多分周囲からもそう思われていることでしょう。で。

なぜ人は大学に行くのだろう。結構不思議だ。大学で学べる程度の知識であればほとんど本を読めば足りるのだから。
(中略)
だとすると残る意義は、質問できることだが日本人はあまり質問しない。あとは本より生身の人間は注意を引きつける力がつよいこと、同じ事を学んでいる友達がいること自体が学習を促進させること、友達と議論できることくらいだろうか。

http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0808.html#172

授業中に詰まって考えているときの筋とか、授業内容とはあまり関係ないところに脱線してぶつぶついっているときとか、(他の人のでも)質問を拡大解釈して高度なことを喋っているときとか、そういうときに何をどう言っているかを真剣に追うべきなんです。そこにこそ、研究者として少なくとも大学で教鞭を振るえる程度には成功してきた人が持っている最大の宝物が眠っているんです。誰にもわかっていないものをわかるためのノウハウが。

大学に行く意義 - くるるの数学ノート

そんな私にとっての数学科の意義は上記のお二人*1とはまた別で、それはひとえに「演習の時間があること」でした*2
私は問題を出されると考えずにはいられない性分なので、学部3年のときは午前中の講義そっちのけで午後の演習の時間用に前回出題された問題をひたすら解いていた憶えがあります。演習の中には「○○先生のレポート量は世界一ィィィ!!解ける問題はないィィィ!!」と評されるほど膨大な量の出題がある科目もあったのですが、演習の時間になると上記のように評していた当人である某Y君などと並んで片っ端から演習問題の解答を黒板に書き連ねていったものです。


で、ここまでなら「なんだ、演習問題なら本にも載ってるじゃん」で終わりですが、重要なのは演習問題を解いた後、黒板の前で先生や他の学生に自分の解答を説明しなければならなかった、という点です。
演習問題を沢山解くということはそれだけ説明の機会が増えるわけで、人前で自分の考えを発表して聞き手に伝える経験を多く積んだことはその後のセミナー発表や研究集会での発表において少なからず役立ったと感じています。また、独学で演習問題を解いているだけでは解答の正しさに対するチェックがどうしても甘くなりがちですが、黒板で発表すると先生や同じ問題を狙っていた他の学生などから厳しいツッコミが入りますので、隙のない証明を組み立てるという数学者に必要な技能を身に付ける意味でも演習時間の経験は大きかったと思います。
演習問題は本にも載っていますが、本はツッコミを入れてきたりはしませんからね。

*1:id:mogamiさんは数学の人ではないみたいですが、私は数学科しか知らないので数学科限定で話を進めます

*2:大学院生時代の研究室セミナーは除く