『数学は「発見」?それとも「発明」?』

というテーマでこれだけ盛り上がっているのを見ると嬉しい気持ちになります。ああ、数学も非専門家の興味の対象や話題になるんだなぁ、と。


本題について。
まず、身もふたもない話をしますと、数学全体を「発見」か「発明」の片方に区分けするのは無理がありすぎるでしょう。ユークリッドの互除法や、最近ではAgrawal-Kayal-Saxenaの多項式時間素数性判定アルゴリズムなどは「発明」と呼ぶに相応しいものと思いますが、一方でゲーデル不完全性定理やバナッハ-タルスキーの定理*1を「発明」と呼んでしまうと強烈な違和感が感じられます。


私見としては、「数学的現象(についての定理)」は「発見」側、「概念の記述」や「公理」や「アルゴリズム」は「発明」側に寄っていると思います。後者の共通点は、数学的概念や現象や問題の解などをどのように「記述するか」「抽象化するか」「計算するか」という、数学をする側の意思ないし行為が関係しているという点です。
なお、最初にこの文を下書きしたときには「概念」(概念の記述ではなく概念自体)を「発見」側に入れていたのですが、「ゼロ」は発見な気がするけれども「虚数」は発見なのかなぁ、などと考えるとよくわからなくなってきました。


余談ですが、「大学の数学科では計算をしない」などといった都市伝説がまことしやかに語られるあたり、専門的な数学において具体的計算が軽んじられているように一般の方には思われているのかもしれませんが、実際はそんなことはありません。ちょっと考えただけでも

  • 「群」の概念は一変数多項式の零点(多項式が定数でない場合、零点の存在だけなら複素数も考えれば代数学の基本定理によって常に保証されています)が実際に計算可能かどうかという考察の産物である(ガロア理論
  • ヒルベルトの23の問題」でも計算可能性に関する問題が提示されている(第10問題や第13問題)
  • 「P=NP問題」がいわゆる100万ドル問題*27問の一つとなっている

などの傍証が見つかりますし、他の自然科学の研究者が実験結果を基に理論構築するのと同様、具体例の計算過程とその結果を基に考察を行う数学者は決して少なくありません。
とはいえ、分野によっては具体的計算のしようがない場合や具体的計算が極めて難しい場合もあるわけで、そうすると「(工学部の人たちが)高校生が考えるような『数学』っぽいことをしてるらしいことを聞いてなんかうらやましくな」ったりするんでしょうけどね。


まとまりがなくなってきましたが、数学が「発見」か「発明」か、という問いは確かに(「発見」と「発明」の違いを厳密に定義できていない以上)数学的な問いであるとはいえないでしょう。
でも、数学が豊かになるきっかけはむしろそういう数学の外側にあったりするものだと思うので、数学者の人たちももっとそういう数学の外側の話をたくさんするようになると面白いのになぁ、と今回の件で思いました。

*1:同名の定理があるかもしれないので念のため、「任意の半径の3次元球体は互いに分割合同である」というアレです

*2:クレイ数学研究所ミレニアム懸賞問題